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1985年4月住友銀行(現 三井住友銀行)入行
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1988年4月住友銀行ロンドン現地法人 債券トレーディング部長、リスク管理部長
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1993年4月メリルリンチ日本証券会社入社 Managing Director 法人営業本部長
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2001年2月バンク・オブ・アメリカ証券会社東京支店入社 常務取締役 兼 資金債券金融商品本部長 Global Markets Group 本社経営会議メンバー(日本人初)
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2005年1月HSBC証券会社東京支店入社 Managing Director 債券営業本部長
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2008年8月HSBC証券会社Managing Director グローバル・マーケッツ統括本部長 兼 香港上海銀行グローバル・マーケッツ統括本部長
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2010年1月HSBC証券会社代表取締役社長 兼 グローバル・マーケッツ統括本部長 兼 香港上海銀行グローバル・マーケッツ統括本部長
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2014年6月HSBC証券会社退職
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2014年9月各種国内及び外資系企業会長、最高顧問、相談役に従事

Career

立沢賢一(たつざわ けんいち)
日本国内一流企業の住友銀行へ入社
1985年(昭和60年)、住友銀行に新卒で入社。
(本店は大阪。2001年(平成13年)4月に三井グループのさくら銀行と合併して三井住友銀行となる)
風邪をひいてはいけない、咳をしたら怒られる。という厳しすぎる環境で、
朝の7時から夜中の12時まで死ぬほど働く(働かされた、とも)
当時は、預金額で優劣を測った時代のようで、6月と12月に大きなノルマがあり、
立沢賢一氏は個人定期23億円を集めて住友銀行内で全国3位になる。
立沢賢一氏は成果を出していたため支店長から「タツ」と呼ばれたが、
成果を出していない人は名前で呼んでもらえず、貴様と呼ばれていたとのこと。
日本国内一流企業の住友銀行へ入社
25歳、ロンドン支店に転勤
ビザがなかなか発行されず、1年待ちで渡英。
事務、オペレーション、経理、コンプライアンス、リスクマネジメントを経て
最終的に債権のトレーダーとなる。
イギリスでの初日、「まず君は英語を直そう」と言われる。
立沢賢一氏は学生時代の留学先がカリフォルニアだったためアメリカ英語が身についており、
イギリス英語への修正を求められてしまう。
30歳、米メリルリンチに転職
住友銀行時代に外債のトレーディングをしていたことで、
外資のメリルリンチから「うちで働かないか?」というオファーが来て転職。
当時のメリルリンチは米国三大投資銀行のひとつであり、国際的に幅広く展開をしていた金融機関。投資銀行業を始めとし、世界37カ国・地域に展開していた。
(2009年にバンク・オブアメリカに救済買収され、投資銀行部門はバンク・オブ・アメリカ・メリルリンチの名で営業している)
メリルリンチに転職後、あちらこちらで同僚から
「アップグレードしてよかったな。やっと三流から一流になれたじゃないか」と言われる。
日本で一流企業とされていた住友銀行も、当時は外資から商品を買っているに過ぎず、
外資にとれば所詮お客様の一人。それが外資の人間から三流と思われていた理由である。
メリルリンチは好きな拠点で好きな業務をしてよい、という環境だったため、
立沢賢一氏は東京で営業として働くことを決める。
東京では法人に対して、日本の法人が運用する資産を外資系の金融機関が供給するためのつなぎ役として営業を行う。
転職後から3年後の31歳の時に、最年少のマネージングダイレクターという称号を得る。

バンク・オブ・アメリカにヘッドハンティング
立沢賢一氏のメリルリンチでの活躍がヘッドハンターの目に止まり、ヘッドハンティングでバンクオブアメリカに引き抜かれる。(バンクオブアメリカは現在、アメリカ最大の民間金融機関)
営業とトレーディングのマーケット部門のトップとして、マーケット業務すべてを統括する職務に就く。
さらにグローバルマーケッツグループというビジネスの意思決定をしていくメンバーの一人にも選任される。(当時のバンクオブアメリカの社長の給料は100億。立沢賢一氏の給料は不明)
39歳でバンクオブアメリカを自主退職。30代での引退に憧れていたのがその理由。
HSBC証券会社の代表取締役社長に

バンクオブアメリカを退職後、オーストラリアで事業を行う。
もう一度優秀な仲間と働きたいと思い始めた時期に、
HSBC証券会社から債券部門のトップへのオファーがあり2005年入社。
3年後の2008年にはマーケット部門の統括ヘッドとなり、
さらに2年後の2010年、代表取締役社長就任。
2014年、HSBC証券会社を退職。
HSBCホールディングスは、イギリス、ロンドン、カナリー・ワーフに本社を置き、商業銀行を主体とする、世界最大級のメガバンクである。
1865年に香港で創設された香港上海銀行母体として1991年に設立。従業員数306,300人。
日本では東京と大阪に支店を置く。
東洋におけるカストディサービスを担う。2016年現在、HSBCのキャッシュ・マネジメントは最も人気がある。これは束の間だけマネー・マーケット・ファンドへ投資できるという商品である。
HSBS証券会社退職後、各種国内及び外資系企業会長、最高顧問、相談役に従事。
最近は、SIS(Strategic Investment Society)という投資・資産運用スクールにも手を伸ばしている。